どうも、かえる舎代表の斎藤です。
かえるをふりかえるでは、かえる舎ができてからこれまでのことを振り返っていきます。
第1回目は「はじまりの夜」と題して、かえる舎を始めたきっかけをお伝えしたいと思います。
どうぞおかけください。
少し昔のホルモン焼き屋でのことでした
2016年1月すごく寒い日。
副代表の赤松は当時立ち上げたゲストハウスにいました。
その日もいつものように「仕事が終わったら、ホルモンでも焼きに行こうよ」と誘い出しました。
寒い日に、七輪を囲んで、ホルモンを焼く。
それが俺たちのスタイル。YEAH。
そして、ホルモンは打ち合わせや相談にぴったりの食事です。
なぜかって焼くのに時間がかかる。
だから箸が止まる時間も長い。
話すしかない。
ね?
大事な相談も、またはどうでもいい話もホルモンを焼きながらがオススメです。
焼けたかどうかが難しいホルモンとにらめっこしながら、地域のこと、仕事のことを話しました。
何もできなかった僕たち
山梨県富士吉田市は人口47,000人ほど。
富士山の北麓に位置し、観光や精密機械、採水事業など富士山を生かした産業が有名です。あの富士急ハイランドがある街です。
私は2014年に富士吉田市に移住してきました。
街のどこにいても雄大な富士山が望めることに今でも感動しています。
移住した当初は学校を出たばかりで、何もできない己の無力さと初めての地域という現場に苦心していました。
それでも数少ないできることを精一杯やり、仲間と一緒に活動を進めてきました。
地域の先輩方にもたくさんたくさんご指導いただきました。
本当に何も知らない、何もできなかった私は、富士吉田に育ててもらいました。
赤松も新卒で私より1年先に富士吉田で活動を始めていました。
空き家改修を軸として人のつながりを作る現場をいくつもみてきました。
繰り返しになりますが、2人とも富士吉田でさまざまな地域での活動をさせてもらい、本当に育ててもらったという気持ちがありまくりです。
この街のために何ができるだろう
そんな僕たちは普段からお笑いの話と仕事の話ばかりしていました。
この日もホルモンをつまみに話すことといえば、最近見つけたお笑いのことと、これからの地域のことです。
その中で、この地域にとってできる一番の恩返しってなんだろうと話しました。
ホルモンが焼け過ぎてしまうくらい真面目に話しました。
焼け過ぎるくらい一番美味しかったりもするんですけどね。
話の中で出てきたのは、地域の方々が願う「次世代への期待」でした。
私は毎晩のように地域の先輩方にご飯に連れ出してもらっては、富士吉田のこと、地域に対する思いを聞かせていただきました。
夜もふけてくると、先輩方は申し合わせたように地域の未来について語り出します。
「自分たちの子供の世代にはもっと富士吉田を好きになってもらいたい」
「若いみんなが出て行ってしまうけど、せめて富士吉田の良さを知ってもらいたい」
言い回しはそれぞれでしたが、一様に次世代に期待していることはよく分かりました。
そんなことを思い出しながら、私たちは富士吉田のためにできる恩返しは「地域に夢中になる次世代を増やす」ことなのかもしれないと思いました。
もう、この段階ではホルモンは終わって冷麺を食べていたかと思います。
冷麺も美味しいですよね。
恩返しだ
なんでかえる舎をはじめたの?
とよく質問いただくことがあります。
でも、本当に育てていただいた富士吉田への恩返しになると思ったからが理由です。
みんなが地域の次世代に期待していて、その願いを叶えたいからです。
そんなホルモンと同じくらいアチアチの思いを胸に、かえる舎の活動が始まったのでした。
2016年の冬の日。
P.S
私も赤松も、実は両親が教員なんです。
かえるの子はかえるですね。